第20回 バイオフィルムを考える

2006年12月1日

バイオフィルムとは

 開放創では24時間以内に細菌が住みつくと言われていますが、これらの細菌によって創感染がおこらないことを目指して医師は治療を行っています
 そして創内の細菌の除去を目的に抗生物質の投与が行われ、また我々の体においても白血球に代表される免疫細胞が細菌を攻撃します。このように細菌増殖を抑制する環境、つまりは細菌にとって都合の悪い状況が優位になってくると、細菌は周囲にポリサッカライドの外壁を作ります。このポリサッカライドの外壁はバイオフィルムと呼ばれています。バイオフィルムの中は低栄養状態であり、細菌は分裂を停止して仮死状態のまま存在し続けます。バイオフィルム中の息を潜めた細菌を殺すことはかなり難しく、通常の消毒や抗生剤は無効で、免疫細胞も入り込むことができません。
 生体の免疫力が落ちたり、壊死組織が増えたり、局所の血行不良など、細菌増殖に適した環境になると、バイオフィルム内の細菌はバイオフィルム外へと出てきて増殖を再開します。このようにして一旦感染をコントロールしたと考えられた創傷において、治癒環境が悪化すると創感染が再発します。
 以上のように細菌はバイオフィルム作成能などを持つため、一度創感染がおこると、原因菌はその後何らかの形で生体内に存在し続けるとも言われています。ウィルス感染でも同様のことが言われています。つまり、一旦ウィルスに感染した場合、細胞内にウィルスのDNAの破片はいつまでも何らかの形で残り、再びウィルス感染を発症する可能性が存在するという指摘です。
 このような知見を根拠として、細菌やウィルスは根絶を考えるのは非現実的であり、共存するものという考え方があります。つまり、根絶しなくても創傷であれば治癒環境を整えて細菌が増殖しにくい状態を維持すればよく、また免疫力の低下を防ぐようにすればウィルス感染再発も起こらないだろうということです。

創傷面の消毒をバイオフィルムから考える

 創傷面を消毒するとバイオフィルムに逃げ込まなくても細菌は元気に創傷部で増殖し続けます。その理由として、まず全ての消毒薬は蛋白質と接触すると速やかにその活性を失うため、蛋白質に結合した細菌の多くは生き残ってしまうからです。もう一つの理由として、創傷面に露出している組織や免疫細胞など創傷治癒に必要な細胞は消毒薬で障害され壊死しますが、この壊死組織が細菌増殖の温床になってしまうためです。
 消毒が有効に作用して細菌をバイオフィルム内に追い込んだとしても、消毒によって壊死組織を大量に作るとともに創傷面の白血球も減ってしまったらどうなるでしょうか。消毒の効果は一時的であるため、バイオフィルムから出てきた細菌によって創感染がむしろ起こり易くなってしまいます。
 実際、実験動物において細菌で汚染させた創傷や、感染創において、いずれも消毒すると創感染がより起こりやすくなり、創傷治癒も遷延することが示されています。

汚染創・感染創の治療原則

 慢性化した褥創では、創感染の有無に関わらず細菌は常に存在しています。この状態においてどのような処置を行えばよいのでしょうか。一言で言えば、細菌増殖に都合が悪く、創治癒にとって悪影響の少ない方法が理想的です。消毒は結果的に細菌増殖に都合が良くなってしまうため、まずは行わない方が良いでしょう。
 細菌にとって都合の悪いのは、足場である壊死組織を除去することと、創傷面を充分に洗浄することです。このいずれもが創治癒にとってプラスになります。
 そして創治癒の面から考えると、損傷した組織を再生するための細胞増殖を促進し免疫細胞を活発に働かせる湿潤環境の維持が重要です。免疫細胞の活動性が増せば、湿潤化した創面でも細菌増殖は抑制され、細菌はバイオフィルムの中に閉じこもりおとなしくなります。このまま肉芽組織ができて表皮化して組織修復が進めば、もはや細菌増殖復活の可能性はほとんど無くなります。
 細菌が作る外壁=バイオフィルムは忌み嫌うべきものという考え方もありますが、私はむしろ細菌がバイオフィルムを作るようであれば、それは好ましい創傷治癒環境の証明ではないかと考えています。
 最近発表された内容として、虚血部位に細菌を散布し、非虚血部位と比べバイオフィルムがより多くできることを証明しようとした動物実験があります。実験結果は予想に反し、虚血部位と比べ非虚血部位でより多くのバイオフィルムができていたとのことでした。虚血部位は細菌にとって格好の増殖環境であり、バイオフィルムを作る必要は無かったのです。実にバイオフィルムの形成は、治療の勝利を意味するのではないでしょうか。決して忌み嫌う必要はないと思います。
 このように汚染創・感染創治療の原則は、「消毒をしない」「壊死組織をデブリードメントする」「洗浄を充分に行う」「湿潤環境を維持する」の4点になります。これら全てが重要で、せっかく湿潤環境を作っても、ドレッシング交換回数が少なくて洗浄が不十分になったり、壊死組織除去を行わなかったりすると、バイオフィルムの中から細菌が復活してしまいます。
 考えてみると、湿潤環境の維持以外は、近代外科の原則である「デブリードメントとドレナージ」「創面の洗浄と清浄化」に一致しており、そんなに目新しいことでもないようです。
 さらに言えば、高齢の医師のお話を聞くと、1970年頃までは創傷面の消毒は積極的には行われなかったようです。有効な殺菌消毒剤が無かったということにもよるのかもしれませんが、ドレナージと充分な洗浄が原則だったようです。ところが湿潤環境を代表とする創傷治癒理論が確立していった1970~1980年代には、強力な殺菌消毒剤の登場によって、皮肉なことに創傷面の消毒はむしろ積極化し、細胞障害作用の強さゆえに有害性が顕著になってきました。そろそろ創面の消毒は決して行わない医療に戻ろうではありませんか。